【東北旅行記】トラックの荷台に乗り、被災地の壁を望む”忘れずの観光”

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僕たちのルーツのルーツと出会う旅

結婚式の前、両親の両親、つまり祖父母への挨拶をしに東北へと旅立ちました。巡るは山形・宮城。そこで待っていたのは、新しい景色と、変わらない景色、そして変わってしまった景色でした。

目次

・トラックの荷台 -山形-

・旅館のウェイター -青根温泉-

・変わらぬ景色 -宮城-

・被災地の壁 -鳥の海-

トラックの荷台 -山形-

東北への移動には悩みました。新幹線で行くと片道だけで3万近くもするようで、結婚式前の貧乏な僕らにはなかなか痛い出費だったんです。ということで、ここは貧乏人らしく夜行バスに乗り、仙台駅を目指します。その工程はなんと12時間半(6000円)。

仙台に着いてからはレンタカーで山形を目指します。山形は、奥さんのおばあちゃんが暮らす町。知らない親戚に会うということで、少しのドキドキ感がありました。途中からは、ナビにも無い道を走る超田舎。たどり着いた先は、川沿いに佇む大きな木造の家でした。

温かく迎えてくれたおばあちゃんとおばさん夫婦。一緒に山菜のご飯と食べながら(これがかなりうまかった)、主に奥さんが近況や、二人のことを話します。こういう時、「旦那はニコニコしながらご飯を食べている」のが正解らしいので、僕はいつも通り静かにして、山菜やリンゴを食べていました。

しばらくして、リンゴ農家のおじさんにリンゴ農園に連れて行ってもらいます。

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農業機械のハシゴに乗り、リンゴの花摘みをお手伝い。実ができすぎないように、5月頃はせっせと花を摘む必要があるそうです。おじさんとしては飽き飽きの作業らしいですが、初めての体験をする僕にとっては新鮮な楽しみ。

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初心者は面白く、農家は楽をできる。農家体験というのは色んな人が喜べる産業なのかもしれません。食事中はあまり話すこともなかったおじさんと、作業をしながらポツリポツリとお話します。お仕事をしながらだと、お話ってはかどりますよね。

帰りはトラックの荷台に乗せてもらい、山を下りました。昔、おじいちゃんに乗せてもらったな。そんなことを思い出しながら、揺れる荷台で西日を眺めます。自然と目を細めてしまうほど、まぶしかったんです。

旅館のウェイター -青根温泉-

宮城に戻る途中、山形との県境にある青根温泉へと泊まります。じゃらんで適当に見つけた宿で、周りに何があるかはまったく知りません。着いてみると、数々の旅館の廃墟が並ぶ、郷愁漂う温泉街。普通の人なら「失敗じゃん…」って思うのでしょうが、僕はこういう廃れた感じにグッと来ます。

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山形つながりなのか「リンゴ」というお部屋に通され、まずは温泉へと向かいます。

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こういった小さな旅館では、大体が貸切風呂の制度になっているんですよね。旅先の大きなお風呂で、夫婦のんびり温泉に浸かるというのは最高の贅沢です。ただし、かなり熱かった…

ここでは昭和時代の固い固いマッサージ機が飾られていました。

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「10円」の文字を信じてお金を入れてみたのですが、まったく反応がないマッサージ機。返事がない、どうやらただの屍のようだ。じゃなくて金返せコラ。

温泉の後はお料理をいただきます。旅館の人が献立の説明をしてくれるのですが、その様相がどうもおかしい。ホストのような髪型にウェイターのような格好。確かに清掃ではあるのだけれど、明らかに旅館とはミスマッチしている。

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こういった小さな旅館の面白いところは、そういう小さなオカシイところが眠っているところかもしれません。ウェイターよ、とりあえず前髪は切っておくんだぞ。

変わらぬ景色 -宮城-

グッスリと寝た翌日。今度は僕のおばあちゃん家を目指して車を走らせます。小さい頃は、夏になれば毎年のようにおばあちゃんの家に行っていました。それが受験とか、バイトとか、色んな理由を付けては少しずつ疎遠になり、大人になってからは隔年くらいのペースになっていたように思います。

そんな感じで、気がつけばおじいちゃんは亡くなっていました。

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久しぶりに会うおばあちゃんは、昔のような元気はありませんでした。僕の家族は大体にして沈黙が多いため、奥さんが少しキョロキョロしていたのような気がします。

おばあちゃんが、遠い昔の僕の絵とか写真を出してきてくれたりして、少しずつ昔のことを思い出します。よくこの庭で蝶を捕まえようとしたり、表の土手川で葉っぱレースをしていたな。来るのは決まって夏だから、カエルや虫がよく鳴いていて、刈られた草の青臭いにおいがふわふわと漂っていたように思います。

道路や住宅ができて景色は少し変わったけど、僕の中にある記憶の景色は、ここに来ればいつまでも蘇ってきてくれそうでした。

被災地の壁 -鳥の海-

おばあちゃんの家から30分も車を走らせると海に出ます。宮城の海岸ということで、東日本大震災で津波の直接的な被害地の一つです。

小さい頃に何度か遊びに来たはずの海辺。海水浴や、近くの公園で遊んでいたその場所は、一面が見渡せる平野になっていました。ところどころにコンクリの残骸だけが残るこの場所は、津波の被害をまざまざと見せつけていました。

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海沿いには延々と、本当に延々と続く防波堤が作られていました。

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更地にできた真新しい防波堤は、まるで石碑のようないでたち。不謹慎ながら、もう少しずつ震災のことを忘れ始めています。でも、こうしてここに立ってみると、まだまだ忘れられるような状況ではないのだということを思い出せます。

軽い気持ちの観光でもいいから、この地に踏み入れることが大事なのかもしれません。「忘れないこと」。それだけでも、気持ちは大きく変わるんです。更地の片隅には小さな観光施設ができており、バスツアーがそこを一つのルートにしているようでした。忘れない試みの一つかなと思います。

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今回の東北旅行では大移動の末、書ききれない程の多くの人に出会い、多くの体験・心の揺さぶりがある旅でした。身体は移動した分だけ、心も動く。これからも多くの場所へと訪れたいと思った東北旅行でした。また夏に、東北に来よう。