「黙って3年働け」のおかげで好きなことを仕事にできた

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新卒2年目は仕事が辛くてしょうがない時期でした。朝日を見ていたら自然と涙が流れることもあったし、その症状からすると鬱が進行している可能性が高いらしく、精神科を探して電話する一歩手前までいっていました。

ただその電話をどうしてもできなかったのは、医者に話せることがないと思っていたからです。自分で何が辛いのかわかりませんでした。同じときに別の会社に就職した友だちの話を聞いていても、自分の会社(少なくとも自分のいる部署)はもの凄くホワイトだと感じます。人間関係にも悩んでいないし、過度な残業もない。良くある「仕事をやめたい人」とは明らかに違っていたんです。

とりあえず3年の「とりあえず」とは

その時期はなんとか救われようと「働き方の本」をひたすらに読み漁り、それが功をなしたのか仕事をするのが段々と辛く感じなりました。辛くは感じなくなったけれど、仕事が楽しくなるということはありません。それが2年目の終わりくらいの話。

ただ3年目が終わりかけている最近では、「仕事が楽しい」と思う時ができてきています。気がつけば3年。これがいわゆる「とりあえず3年の効果」なのかもしれません。

しかし、「とりあえず」というのはとってもあいまいで、とりあえずただただ我慢をする3年だったらきっと精神か身体が潰れてしまうと思います。

自分はどんな3年だったから良かったのだろう。

いつかまた「仕事が辛くてしょうがない」と思ってしまったときのために、どうやって今回は乗り越えられたのかを振り返るために、考えてみると、

  1. 「働けるようになるための3年」
  2. 「働く意味を見出すための3年」
  3. 「頼られる存在になるための3年」

だったように思うんです。

働けるようになる3年

辛かった2年目の頃は本当に能力がなくて、自分の仕事なんて他の人がやってしまえば一瞬で終わりそうなものばかりでした。一ヶ月くらいかけてできた仕事を他の人が3日くらいであっさりと終わらせてしまったときは、「何のための一ヶ月だったのか」と業務に手をつけるのが嫌になりました。

打ち合わせもまわりの人が何を言っているのかが理解できなくて、(あとで聞き直してもやっぱり納得できなくて)、自分が存在していないかのような打ち合わせが苦痛で仕方がなかったです。

ありがちなことだと勝手に思っているけれど、業務で使う知識にはある一定のブレークスルーがあって、そこを超えると天と地ほどの能力差が生まれる気がしています。

たとえば英語学習をしている人なら良く聞くと思うけど、「TOEIC何点の壁」というのがあって、どうやって勉強しても中々そこを超えられない。ただ一回超えてしまうとあの頃が嘘だったように問題が楽になる。

ただ、その壁を越えられるまでは不安でしょうがなくて、「自分も本当にできるようになるのだろうか」「彼らは天才なのではないか」「私は努力の天才になるほど頑張れない」という考えが頭の中を走り回り、進んで来た暗い暗い洞窟の入り口も出口も見つからない気持ちになります。入り口には戻れない(戻りたくない)し、あとどれくらいで出口が見えるのかもわからない。

他の人がやれば一瞬の作業を、延々と時間をかけてやる自分。

会社に行くたびに元々少なかった「自信」が削がれていったように思います。水曜にあった定例報告会ではほとんど進展もない日が続き、「まだ勉強が足りなくて」という言葉ばかりで辛かったです。
そんな自分にもちょっとしたブレークスルーが来ました。今までなら1ヶ月はかかるであろうことも、1週間でできるようになる時期。何がキッカケなのか、正直よくわかりません。もしかしたら続けることをやめなければ誰もが達成できることなのかもしれません。

この頃から他の人が言っている言葉の意味や、伝えようとしてくれている内容が少しずつわかるようになり、ただただ「自信が削がれる日々」ではなくなっていきました。

ただ、自信が削がれなくなっただけで、自信がつき始めたわけじゃありません。ライフがなくなり続ける毒の沼から脱せられただけで、まだまだテントを貼って回復はできませんでした。

働く意味を見出すための3年

知識・経験的な壁を乗り越えられ始めてからは、やっと相手の言っている仕事の目的がつかめるようになって来ました。今までも良く質問はしていたのだけれども、けっきょくは納得できないときばかりでした。今思えば勉強してても体験していなければ実感がわかないこともあるし、時間の問題だったのかもしれません。

知識と能力が足りない頃は「その業務を行う意味」がまったくわからなくて、ただひたすらに納期までになんとか終わらせないと、と思って頑張っていました。何のために頑張っているのかよくわからなかったし、とにかく前に転がすことを頑張るしかなかった。

しかし知識がついてからは業務の目的が理解できるようになってきました。「あーこういうことが必要だと思われているから、これをやるのね」ということがやっと分かってくる。目的もわからないままに走り続けるのって、やっぱり苦痛なんです。

目的がわかるようになると自分の性格がやっと出せるようになります。自分の性格とは「最低限の仕事だけをやって楽したい」というクズみたいな性格なんだけど、目的がわからない頃はこの最低限の仕事っていうのが判断できなかったんです。

仕事の目的が判断できるようになると、「その仕事ってやる意味あるんですか?」ということがやっと言えるようになります。今までは聞いても理解ができなかったし、理解できないモヤモヤも相手に伝えられないから、意味は分からず作業を頑張るしかなかったんです。

それが「やる意味あるんですか?」のあとに続く会話を理解できるようになると、議論ができるようになります。すると驚いたことに、「やる意味、なさそうかもね(少なくとも優先度は下げたいね)」という結果になることが、けっこうあったんです。

どんな仕事にもやる意味はあるんだと思ってたけど、意味のない(意味の小さい)仕事っていうのは意外とあるんだなと思いました。そして意味のなさそうな仕事はバンバン潰してきた結果、自分が納得できる仕事だけが残っていきました。

これはある意味では「自分のやりたいこと」を仕事にできた瞬間なのかもしれません。

やりたいことができるのって、単純に嬉しいです。自分で仕事を取ってくる段階ではなくて、上司が取ってきた仕事を進めていくようなものなんだけれど、与えられた仕事の中だとしても自分のやりたい仕事を選択できるのは、嬉しい。

「好きなことを仕事にする」というのは、「書くのが好きだから作家になる」という業務の大転換もあるけれど、同じ仕事の中でも好きなことを仕事にできるのは嬉しいことなんです。

頼られる存在になるための3年

そうして仕事の目的を理解することができてきます。すると「言われたからやる仕事」が減って「比較的やりたい仕事」が残っていきます。

言われてやる勉強は頭に入らないけど、自分から勉強したいと思った瞬間は身につくスピードが速い。するとある分野においては質問される回数が増えていきました。

「これってこういうこと?」「これについての意見を聞かせて?」

このときになってやっと、自分がこの会社にいる意味が見つかった気がしました。今までは「いつでも取り替えのきくひとりの作業員」のような感じだったけれど、やっと存在を認められた気がしました。

そんな小さいことって思われるかもしれないけれど、人間の「認められたい欲求」って強いと思います。小さい範囲だったとしても「この分野で君より詳しい人はいないんじゃないの?」と言われたときは、やっぱり嬉しかったです。やっと存在を認められた気がしました。逆に言えば、それまではいてもいなくても変わらない存在だったとも思います。

(というのは考えすぎだけど、実際にそう思っていた)

こうして

  1. 「働けるようになって自信が削られないようになり」
  2. 「働く目的がわかったことでやる意味の大きそうな仕事を選択できるようになり」
  3. 「頼られる存在になることで存在する意味を見つけられるようになった」

こうやってみると、自分にとって自信とは重要なことで、仕事を選択するというのは大切なことで、存在する価値のある人間なんだと認めてもらうことを求めていたんだ、と思います。

嬉しいことに、直近の評価はプラスが付いてボーナスがけっこうあがりました。2年目に苦しんでたときからは想像もつかない事実で、お金もそうだけどやはり認められたという承認欲求の喜びが強かったです。

まとめとこの話の前提

この話には大事な前提がいくつかあります。

一つは今の会社が私にとってはホワイト企業であること。

今回出てきた話からもわかるように、私は人間関係や残業時間にはまったく悩んでいません。変人は多いけれど尊敬できる人が多く、残業するよりも「嫁さんに会いに早く帰れ」という愛のこもった言葉を貰えます。これらのことに悩んでいる場合は、3年続けるのは苦行だと思います。私が悩んでいたのは自分で変えることのできる範囲の話です。

二つ目は私が意味を求める人間であるということ。

なぜその業務をしなければならないのか、そもそもなんで働かないといけないのか。こういったことを考える人って、少ないと聞きました。業務をするのも働くことも当然のことらしいです。

(結婚することも子どもを育てることも当然。当然って難しいなぁ)

三つ目は私が頑張るのが嫌いな人間であるということ。

こんな話をしているけれど、やはりできれば働かずに山奥の小屋で蒔ストーブの火にあたりながら本を読んで暮らしたいと思っています。仕事の辛さから回復した頃は自己啓発も勉強もまったくしなくなった時期でした。頑張るのが嫌いだからこそ、頑張るのはやめて意味のなさそうな仕事は捨てて早く帰れるように考えます。

世の中には頑張れる人とそうでない人がいます。自分は競争力のない非戦闘要員です。だから私は戦い方よりも、生き方を勉強したほうがよさそうだなと思っています。ちょっとそういう事実を忘れていました。

これらの前提は大きいです。こういったケースで仕事に悩んでいる人っていうのは、少ないと思います。きっとバカな上司やアホな残業時間に苦しんでいるんだと思います。そういった人は私のように自分が変わるのを待つのではなくて、きっと環境を変える(イコールそれが仕事をやめる)のが良いのかも知れません。

でも、そういうブラック企業であえぐ人の情報しか世の中にはないからこそ、私は自分がなんで仕事が辛かったのか気づけませんでした。この文章は自分の頭の中身を整理することが目的の8割だけど、2割くらいは同じことに悩んでいる人に向けて書いたもの、かもしれない。
きっといつか、また仕事が辛いと感じることがくると思います。一つ目の壁を乗り越えて今は元気になったけれど、次の壁はその何倍もでかいのかもしれません。正直に言うと、そういうときがくるかもしれないというのは怖いです。また辛い日々を過ごすのは、嫌。

本当は「一つ目の壁を乗り越えた時と同じように、次の壁も乗り越えられる」って言ってキレイに終わらせたいんだけど、それを言ったらウソになります。ただ、同じように乗り越えることはできなくても、一度乗り越えた自分の姿は励み程度にはなると思います。「お前(私)、前に一度乗り越えてるもんな。もしかしたら、できるかもな」って。
やっぱりこの文章は9割くらいは自分のためでした。ごめんなさい。最後まで読んでくれてありがとうございます。みなさんも無理はなさらぬように。

最近、読んでいる本です。今回話した内容と似ている部分がありました(意味のある仕事を選択して、あとは捨てるという部分)。

難しそうなタイトルですが、中身はおもしろいです。良かったらぜひ読んでみてください。

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