最近は片手間の抱っこを卒業して、両手間で抱っこできるようになってきた。
両手間。今までは「片手で抱っこをしながらKindleを読んだりする」ってことまではできていたんだけど、最近では「両手を使わずに抱っこをしながらブログを書く」ことができるようになってきた。ちなみに両手間という言葉は雰囲気で使ったから実際にはそういった言葉はないんだけど。
でもまぁ、こういうことを言ってしまうと、
「育児を適当にやるなんてけしからぬ!! ズバーン!!」
という世間さまからのお声が聞こえてくる気がする。いやはや。実際に親戚からそんな感じのことをやんわりと言われたんだけど。いやはや。
まぁでも、そういったお声は最初から聞かないで自分の好きに育てることにした。だって疲れるんだもの。
「育児はこうあらねばならない」はうるさい
もちろん片手間でやるよりは、息子に献身し尽くして愛情を注ぎまくりんぐで育児をするほうがいいんだろうなぁ、とは思っている。それが科学的に正しいと証明されているかは別として。
だけど育児に専念し過ぎるあまりに、自分のやりたいことを我慢したり消耗したりするっていうのも個人的には耐えられないかなー、とも思う。
検索ボックスに「育児」というワードを入力したとき。予測変換でどういった言葉が出てきたでしょうか?
では抜粋すると。
1 疲れた
7 イライラ
8 疲れ
10 孤独
これを見たとき、とりあえずネガティブなワードが多すぎってなる。ちなみにポジティブと判断できる言葉はないのも特徴的。個人的には「幸せ」「めでたい」「嬉しい」などが来るのではないか! と期待していたんだけど、まったくなかった。「かわいい」くらいは来ても良いんじゃないかと…
検索する世代は20代と30代の人が全体の約半数を占めているそうなんだけど、つまりは子育て世帯が考える育児に対する声は「疲れた」なんだろうなーと思う。
実際に私も一ヶ月くらい育児(生後一ヶ月未満)をしてみて、疲れるときもある。一番困るのはなんで泣いてるのかわからないときで、顔が真っ赤になって声が出なくなるほどに泣くときはどうしようかなって (私たちはこれを爆発と呼んでいる)。おいおい、ぼうや…
あとは抱っこくせというものがあるそうで、基本的に抱っこをしていないと寝てくれない。さらには抱っこをしながら立ってないと寝付いてくれない。だからよく抱っこをしながら室内を徘徊することに。ちなみに暇つぶしに歌っている曲はももクロ。
さてさてようやく寝てくれました。そろそろパパである私も本くらい読みたいものだ! と息子を布団に置こうものなら、またグズり始める (私たちはこれをバレると呼んでいる)。おいおい、ぼうや…
グズり始めた結果、最終的には本泣きをはじめ、また爆発泣きをする。以後これを繰り返す。
とまあ大変なことを書いていたら5分で原稿用紙一枚くらい楽勝で埋められるわけで、現に育児メディア(赤すぐとか)を見ているとそういう記事ばかりが並んでいて、ものすっごいヤレヤレだぜ… 感でいっぱいになる。もっと育児に夢を与えろよって。
もっと気楽にやればよかった
だけども、ちょっとだけ考え方を変えることにした。それがタイトルにもある「育児は片手間くらいでちょうどいい」という話。
尽くして、頑張って、頑張りすぎてイラついちゃうなら、その手前で頑張りをセーブしたほうが自分はもちろん子どもにとっても良い気がした。
息子 「パパさー、尽くしてくれるのは嬉しいけどもさー、それで自分がイライラしてきてさー、結局ボクに当たるのはやめてくれないかなー」
みたいな(都合のいい)声が新生児の息子から聞こえてきた。ごめん、今のセリフは8割くらい妄想。
育児って恋愛に似ていそうで、「こんなに彼に尽くしている私ステキ」的な面がありそうな気がする。その結果、「こんなに尽くしているのになんで振り向いてくれないの…(なんで泣き止んでくれないの)」みたいなところも似ている気がする。
息子が生まれてから一人で本を呼んだりブログを書く時間が一時期は減った。読みたい本があるのにミルクで両手がふさがってるから読めない…
でもここで子どもにイラついてしまうのでもなく、また「育児とはこういうものだ」と思考停止するのでもなく、私が選んでしまったのが片手間だった。孤独のグルメ(最近のお気に入り)を見ながらミルクをあげれば、自分の時間も過ごしつつミルクをあげられる。
ときおり顔をこぼれたミルクを拭いてあげて、ニコリとする息子を見て私も微笑むくらいが、私にとってはちょうどよかった。自分の時間を犠牲にしないでお互いのやりたいことをそれぞれでやりながら、だけど二人の時間と場所を共有するくらいが私にとってはちょうどよかった。
育児は瞑想と相性が良い
あとこれは蛇足だけど、育児と瞑想は相性が良い気がする。スティーブ・ジョブズや数々のお偉いさんが瞑想をしていると聞いて興味を持ったけれど、なかなかやる気のスイッチを見つけられなかった。
だけど抱っこをしながらあたりを徘徊しているとき、「この両手も使えなず本もテレビも見れない何もできない時間は、瞑想するのにとっても相性が良いのでは?」と気づいた。
それ以来は抱っこ中は瞑想して、頭がスッキリとした頃には息子もスヤスヤと眠っている、という良い習慣ができてきた。大変と思われている育児だけど、考え方とやり方次第で楽になるし、むしろ良い習慣も作れんのかもなーと思った。
ちなみに、寝付いてくれたとしても布団に置けばぐずり始める。もう一度言うけど、私たちはこれを「バレる」と呼ぶ。あと、赤ちゃんはめっちゃかわいいし人生がとても幸せになる。これマメです。